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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)5579号 判決 1992年8月31日

A事件反訴原告

若杉信吉

B事件原告

若杉二子

A事件反訴被告・B事件被告

前野健一郎

主文

一  A事件反訴被告は、A事件反訴原告に対し、金六〇三万八〇九八円及びうち金五四八万八〇九八円に対する昭和六二年四月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  B事件被告は、B事件原告に対し、金三六四万三三九五円及びうち金三二九万三三九五円に対する昭和六二年四月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  A事件反訴原告及びB事件原告のその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを五分し、その三をA事件反訴原告及びB事件原告の負担とし、その余をA事件反訴被告・B事件被告の負担とし、参加によつて生じた費用は全部補助参加人の負担とする。

五  この判決は、A事件反訴原告及びB事件原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一請求の趣旨

一  A事件

反訴被告は、反訴原告に対し、金二一三五万五三一三円及び金一九四五万五三一三円に対する昭和六二年四月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  B事件

被告は、原告に対し、各金三九三万九一六四円及び金三五八万九一六四円に対する昭和六二年四月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(一) 日時 昭和六二年四月二七日午後三時一〇分ころ

(二) 場所 神戸市東灘区御影中町三丁目二番地先道路上

(三) 加害車 A事件反訴被告・B事件被告(以下「被告」という。)が運転していた普通乗用自動車(神戸五六の七七五六号、以下「加害車」という。)

(四) 被害車 A事件反訴原告(以下「反訴原告」という。)が運転し、B事件原告(以下「原告」という。)が同乗していた普通乗用自動車(大阪五九せ五九七八号、以下「被害車」という。)

(五) 事故態様 加害車が被害車に追突した。

2  反訴原告の受傷、治療経過及び後遺障害

(一) 受傷

本件事故により、反訴原告は、外傷性頸部症候群及び腰椎捻挫の傷害を受けた。

(二) 治療経過及び後遺障害

反訴原告は、本件事故による受傷の治療のため、神吉外科医院、名取病院及び兵庫医科大学病院に入通院し、通じて入院三〇一日間、通院二二七日(実通院日数)を経て、平成二年九月三〇日に症状固定に至つたが、頸椎の可動域制限、頸部より左肩にかけての筋緊張亢進、左手足の痺れ、左握力の低下が残存する等頑固な神経症状を残し、この後遺障害は、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)施行令別表後遺障害別等級表第一二級一二号に該当する。

3  原告の受傷、治療経過及び後遺障害

(一) 受傷

本件事故により、原告は、頸椎捻挫及び腰椎捻挫等の傷害を受けた。

(二) 治療経過及び後遺障害

原告は、本件事故による受傷の治療のため、通じて入院二二日間、通院一八〇日(実通院日数)を経て、昭和六二年一二月二八日に症状固定に至つたが、頚部及び腰部に頑固な神経症状を残し、この後遺障害は、少なくとも自賠法施行令別表後遺障害別等級表第一四級一〇号に該当する。

4  反訴原告の損害

(一) 治療費 合計四〇〇万〇七二五円

前記の入通院治療のため、次の治療費を必要とした。

(1) 神吉外科医院分 九六万九八六〇円

(2) 名取病院分 二八〇万八〇三〇円

(3) 兵庫医科大学病院分 二二万二八三五円

(二) 入院雑費 三九万一三〇〇円

前記入院期間(三〇一日間)中一日当たり一三〇〇円の入院雑費が必要であつた。

(三) 休業損害 八八九万七七八〇円

反訴原告は、本件事故当時、一か月当たり三〇万六八二〇円の収入を得ていたところ、本件事故による受傷のため、昭和六二年五月六日から昭和六三年九月二一日までと平成元年七月二六日から平成二年八月三一日までの計二九か月間にわたり休業せざるを得なかつた。

(四) 逸失利益 三三七万五八八八円

反訴原告は、本件事故当時、一年当たり四一〇万五一二三円の収入を得ていたところ、本件事故による後遺障害のため、症状固定後七年間にわたつて、その労働能力を一四パーセント失つたから、これによる逸失利益をホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息控除をして算出すると、三三七万五八八八円となる。

(五) 慰謝料

(1) 傷害慰謝料 二一五万円

(2) 後遺障害慰謝料 一八八万円

(六) 弁護士費用 一九〇万円

5  原告の損害

(一) 治療費 一二六万五六六〇円

前記の入通院治療のため、必要とした。

(二) 入院雑費 二万八六〇〇円

前記入院期間(二二日間)中一日当たり一三〇〇円の入院雑費が必要であつた。

(三) 休業損害 七六万〇八三三円

原告は、本件事故当時、主婦として一か月当たり一八万二六〇〇円に相当する家事労働を行つていたところ、本件事故による受傷のため、昭和六二年四月二八日から同年一二月二八日までの間の一二六日間につき、家事労働を休業せざるを得なかつた。

(四) 逸失利益 三九万四〇七一円

原告は、本件事故当時、主婦として一年当たり二一九万一二〇〇円に相当する家事労働を行つていたところ、本件事故による後遺障害のため、症状固定後四年間にわたつて、その労働能力を五パーセント失つたから、これによる逸失利益をホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息控除をして算出すると、三九万四〇七一円となる。

(五) 慰謝料

(1) 傷害慰謝料 九二万円

(2) 後遺障害慰謝料 三二万円

(六) 弁護士費用 三五万円

6  損害の填補

本件事故による損害の填補として、反訴原告は一二四万〇三八〇円の、原告は一〇万円の各支払を受けた。

7  よつて、被告に対し、損害賠償請求として、反訴原告は、金二一三五万五三一三円及びうち金一九四五万五三一三円に対する昭和六二年四月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告は、金三九三万九一六四円及びうち金三五八万九一六四円に対する右と同じ日から支払済みまで右と同じ割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2及び同3のうち、各(一)の事実は否認し、各(二)の事実は知らない。

本件事故は、加害車の前部バンパーには損傷が認められず、被害車の後部バンパーに軽微な擦過痕が生じたのみの最も軽微な追突事故事例の一つであり、被害車乗員に外傷を生じさせる程の衝撃を与えたものとは考えられない。また、本件事故当時の反訴原告及び原告の体動についての同人らの説明は、物理法則に反するものであり、受傷の有無及び同人らの説明の虚偽性については、工学的鑑定によつて容易に明らかにできることである。

また、反訴原告及び原告が本件事故後受診した神吉外科医院では、同人らに本件事故の程度、その時の体動、打撲部位等について確認することなく同一の診断名を付けているが、同人らの診断名が同一であることは不自然である上に、同人らの説明する受傷部位と診断名とは齟齬している。そして、同医院医師は、反訴原告及び原告に対し、受診当日から頸部損傷の初期には禁忌とされている牽引及び超短波療法を施し、受診当初は通院していた同人らは次第に症状が悪化して、一週間後にはともに入院するという異常な経過をたどつており(特に反訴原告は本件事故当日には何ら異常がなかつたのに一週間後に入院に至つており、かかる経過をたどる外傷など絶対にないというべきである。)、その後に同医院を退院し他病院に転医する時期もほぼ一致している点も不自然である。そして、同人らが説明する症状経過等と同医師が説明し、あるいはカルテに記載されている症状経過等に齟齬があり、同医師が認めたレントゲン所見あるいは神経学的検査が、転医後の病院では認められていないこと等からすると、反訴原告及び原告には本件事故による受傷はなかつたものというべきである。

さらに、神吉外科医院の後に反訴原告及び原告が受診した名取病院でも、同人らの受傷機転について確認しておらず、本件事故後の症状経過を確認しないまま、反訴原告の大袈裟な事故状況の申告に惑わされて外傷性の診断をしたものであり、同病院受診が本件事故の一か月後のことであることからすれば、同病院での診断結果から、本件事故と同人らの症状の因果関係を認めることはできないというべきである。

そして、反訴原告には、本件事故後六か月程度経過した後に初めて両下肢の脱力等の症状が出現しているが、これは、頸椎の経年性変化が進行したための症状であつて、本件事故によるものではなく、その後に生じた歩行障害も本件事故によるものではない。また、平成元年六月一九日以降に頸椎症性脊髄神経根症の治療を受けているが、これは本件事故から二年が経過した後に発症したものであり、本件事故と因果関係はない。

3  同4及び同5の事実はすべて知らない。

仮に、反訴原告及び原告に受傷が認められるとしても、同人らは各自、入院一日当たり二万円、通院一日当たり一万円が支給される保険に加入していたのであるから、その精神的損害は相当範囲において慰謝されたものとして、慰謝料算定において考慮するべきである。

4  同6の事実は認める。

三  抗弁(損益相殺)

(一)  反訴原告ら主張の損害の填補額の他に、被告は、本件事故による損害の填補として、反訴原告に一〇万円を支払つた。

(二)  また、反訴原告は、昭和六三年九月二〇日までの休業期間中、勤務先会社から傷病手当として、一か月当たり約一九万円の支払を受けていた。

四  抗弁に対する認否

抗弁の事実のうち、(一)は知らないが、(二)は認める。

ただし、傷病手当を損益相殺の対象とすることは、その性質上、認められるべきではない。

理由

一  事故の発生について

請求原因1(事故の発生)の事実は当事者間に争いがない。

右事実によれば、被告に過失のあることは明らかであるから、被告は、本件事故による損害の賠償責任を負う。

二  反訴原告及び原告の受傷について

1  事故状況

前記の争いのない事実に加え、甲第二及び第三号証、乙第二六号証、検甲第一ないし第八号証、証人中村裕史の証言、反訴原告(第一回)、原告及び被告各本人尋問の結果(後記の信用しない部分を除く。)並びに鑑定の結果を総合すれば、次のとおり認められる。

(一)  本件事故現場は、国道二号線の西行車線上の交差点(以下「本件交差点」という。)手前付近である。

付近の道路は、アスフアルト舗装された平坦な道路であり、制限速度は時速四〇キロメートルに制限されていた。

(二)  反訴原告は、原告を後部座席に乗せて、被害車を運転して国道二号線を西に進み、本件交差点の一つ手前にある交差点を時速四〇キロメートル程の速度で通過した後、前を走る自動車が減速して停止しようとしたため、エンジンブレーキを効かせ、被害車を減速させて、前車に近づいて行き、前車が交差点内に進入したが、前方が渋滞していて交差点内に停滞する恐れがあつたため、本件交差点手前に停止しようとした時、本件交差点手前の四輪車用停止線に達する付近で、停止寸前の状態のところを加害車に追突された。

被害車は、追突の後、押されて、追突地点から六・五メートル進んだ地点に停止した(被告は、被害車は二メートル程進んで停止した旨述べるが、同人も立ち会つて作成された実況見分調書である甲第二号証の記載に照らし信用できない。)。

追突時、反訴原告は、体のどこかを打つたり、腰に衝撃を感じたり、ひねつたり、意識を失つたことはなく、また、原告、胸部及び腹部を前の座席で打ちはしたが、他に頭部、両肩部、腰部等を打つたり、ひねつたりしたことはなく、意識を失つたこともなかつた。

(三)  被告は、加害車を運転して、被害車の後方を進行し、本件交差点手前の二輪車用停止線から三〇メートル程手前の地点で、被害車が減速する様子であつたので減速したものの、前方の信号は青色であつたため、被害車は交差点内に進入していくものと思つていたところ、一八メートル程進んだ地点で、被害車のブレーキランプが点灯していることに気付き、ブレーキを踏んだが間に合わず、さらに三・五メートル程進んだ地点で、被害車に追突した。

加害車は、追突の後、〇・七メートル程進んで停止した。

(四)  本件事故により、被害車の後部バンパーに擦過痕ができ、また、加害車の前部ボンネツトの前端中央付近に凹損が生じた(被告は、同凹損は本件事故と関係ない旨述べるが、甲第二号証には、本件事故によるものとして記載されている上、鑑定の結果からすれば、同凹損が被害車と直接当たつたためにできたものではないとしても、本件事故により生じた可能性は十分に認められるから、同凹損は本件事故によつて生じたものと認めることができ、被告の右供述は信用できない。)。

被害車のバンパーは衝撃吸収バンパーであつた。

2  事故状況についての鑑定人らの意見

甲第二四号証、証人中村裕史の証言及び鑑定の結果によれば、次のとおり認められる。

(一)  鑑定人中村裕史の意見

本件事故の状況等について、鑑定人である大阪大学基礎工学部機械工学科機械力学講座助手中村裕史は、実況見分調書その他本件弁論に現れた証拠を前提に、次のとおりの意見を述べている。

(1) 加害車が、被害車に追突した地点から〇・七メートル前進した後に停止したことを前提にして追突直前の加害車の速度を算出すると、時速一八・三キロメートルとなり、被告が追突の危険を感じた地点から追突地点までの距離を三・五メートルとすると、時速一八キロメートル以上の速度で進行していた場合、制動効果が現れる以前に追突することとなる。

そして、被害車が追突された後の移動距離が六・五メートルであることを前提に、追突される直前の被害車の速度が〇であつたとし(被害車は追突された当時停止「寸前」であつたが、この状態はせいぜい時速二キロメートル以下であろうから、計算上は〇とした場合でも誤差は無視できる範囲のものと考えられる。)、被害車が追突された後は制動されることなく停止に至つたとすると、加害車の衝突直前の速度は時速四・一キロメートルとなるが、この場合には、追突の後の加害車の移動距離は〇・〇九メートルになつて本件事故状況に合わない。むしろ、被害車が、追突された後、一時は制動されていない状態にあつたがその後制動されて停止に至つたものと考えると、加害車の追突後の移動距離である〇・七メートルから算出された加害車の追突前の速度である時速一八・三キロメートルに整合する場合があり得、この場合、追突された後一・九秒後に再制動が行われたものとすると、被害車の追突された後の移動距離六・五メートルに合致することになる。

(2) 加害車のボンネツト前端中央部やや左側に認められる凹損は、追突によつて、加害車の前部バンパーが後方への力を受けた時に、この力がいくつかの締結部材を通じてボンネツトのフードロツクフツクやフードキヤツチフツクに伝わり、ボンネツトを裏側から後方に引つ張ることになつて生じたものと考えことができ、そうであるとすれば、このような永久変形を発生させるに至つた追突はごく軽微なものであつたとは考えられず、追突時の加害車の速度は時速一〇キロメートル以上であつた可能性が高い。

追突事故後の車両の損傷の大小から、追突速度を推定することは難しい問題であり、車両間の進行方向に多少の違いがある場合(進行方向が平行でない場合)には接触面が狭いので損傷が局所的になり、外見上大きな損傷になるが、進行方向が同じ場合、車両の接触面が広くなるので、見かけ上の損傷は非常に少なくなる場合もある。ただし、見かけ上の損傷がほとんど認められない場合で、追突速度が時速二〇キロメートル以上である可能性は非常に少なく、多くの場合は時速一五キロメートル以下であると考えられる。

(3) 加害車の追突直前の速度が時速一八キロメートル、被害車の速度が〇とすると、本件事故によつて被害車乗員が受ける衝撃加速度は三・一ジーとなる。この値は、いわゆる鞭打ち症発生の目安とされる三ジー付近の値であり、被害車乗員にいわゆる鞭打ち症が発生する可能性は否定できない。

(4) いわゆる鞭打ち症は、〇・一秒程度の短時間のうちに急激な速度変化が起こることから発生するものであり、その間に大きな体動が起こることはなく、その後の体動はいわゆる鞭打ち症発生には直接関係ないのであつて、また、体動の大きさにいわゆる鞭打ち症発生が左右されるものではない。

そして、いわゆる鞭打ち症が発生するごく短時間の体動を正確に記憶することはほぼ不可能であり、追突事故後には追突された車両の乗員の体は前後への動きを何度か繰り返すのでその過程を正確に記憶している者も少ない。

(二)  林洋の意見

技術士林洋は、本件事故の衝撃等について、実況見分調書、検甲号証各証等を前提にして、大略次のとおり意見を述べている。

(1) 乗用車は外部から衝撃を受けるとほぼ有効衝突速度に見合つた塑性変形を残すものであり、乗用車をコンクリートの固定壁に前面衝突させた時の有効衝突速度と損傷の及ぶ範囲との関係を調べた実験の結果からすれば、損傷がバンパー部分に限られる場合の有効衝突速度は5km/hrである。

加害車の前部バンパーは損傷されておらず、ボンネツトの前縁中央やや左の凹損は、追突では一般に形成されないから、ごく過大に見積もつても被害車に生じた有効衝突速度は5km/hrである。

(2) 被害車に生じた有効衝突速度を、衝撃耐性実験の結果、臨床例、遊園地の乗物に生じる加速度、実車衝突実験の結果とそれぞれ対比させても、被害車乗員に頸部損傷の生ずる可能性はない。

3  反訴原告の受診及び入通院経過

甲第四、第六、第七、第一八及び第二〇号証、乙第二ないし第一一(枝番の表示は省略する。以下、同じ。)、第二三ないし第二六、第二八、第三〇ないし第三二及び第三四ないし第三七号証、証人神吉英雄及び同中野利彦の各証言、反訴原告本人尋問の結果(第一、第二回)によれば(ただし、後記の信用できない部分は除く。)、次の事実が認められる。

(一) 神吉外科医院での診断及び入通院

(1) 受診に至る経過

反訴原告は、本件事故後の昭和六二年四月二七日当日、受診する原告に付いて神吉外科病院に行つたが、その時は別に体の異常を感じなかつたため受診せず、原告が受診している間に被告と東灘警察署に事故の届出をしに行き、その後、実況見分をするために、警察官と本件事故現場に同行した。そして、実況見分後、同病院に原告を迎えに行き、同人を同行して再度警察署に行き、事情聴取を受けた後、午後七時ころ帰宅した。

その後、反訴原告は、右手にしびれを感じ、また、右肩から腕にかけてだるさを感じる等したため、同月二八日に、原告が通院するのに同行して神吉外科医院で受診した(甲第四号証第一三丁裏)。

(2) 神吉医師の診断

同病院で、反訴原告は、神吉英雄医師に対し、昨日追突事故に遇つた旨述べ、手のしびれがあり、頭の芯が痛くて眠れなかつた、腰が痛い等と訴えたところ、同医師は、診察の上反訴原告の傷病名を、外傷性頸部症候群、腰椎椎間板障害、頭部外傷Ⅱ型、両肩鎖関節損傷、胸腹部挫傷と診断し、加療を要するものとして、同日から、温熱療法、低周波療法及び牽引療法を開始した。

なお、神吉証人は、反訴原告が、初診時にはすごく興奮していて意識がはつきりしなかつた、立ちくらみ、眩暈を強く訴えていた、両上下肢の放散痛、しびれを強く訴えていた、むかつき、嘔吐があるとも強く訴えていた、ジヤクソンテスト、イートンテスト、スパーリングテスト上、神経症状が強く、レントゲン検査上、第五ないし第七頸椎の椎間腔の狭小化が強く出ており、また、第五腰椎と仙骨間の狭小化が認められた旨述べ、甲第六号証、乙第一及び第二八号証にもこれに沿うと考えられる記載部分があるが、本件事故態様、反訴原告の初診時の訴え、後記のとおりの昭和六二年六月二日以降に名取病院で認められた反訴原告の症状に加え、神吉証言から認められる、神吉医師が、椎間板の狭小化が認められたことを理由に椎間板そのものの損傷自体を直接認めなくても椎間板障害と診断し、両肩に外力が加わつたか否かを確かめずにレントゲン所見で両肩鎖関節損傷と診断し、打撲痕はないものの圧痛があつたから打撲傷と診断したことを考え合わせると、神吉医師は、反訴原告の症状について、ごく些細な症状を重大に捉える傾向があつたことを認めざるを得ないから、反訴原告にはなんらかの症状があつたものとしても、右の神吉証言にいう症状がすべて同証人の述べる程度にあつたものと認めることはできない。

(3) 入通院経過

反訴原告は、同月二九日から同年五月九日まで神吉外科医院に通院し、前記同様の治療を受け、その後、右手が上がらなくなつた、後頸部が痛くなつた、右足がしびれて歩きづらい旨を訴えたところ、神吉医師の勧めで同月一〇日に入院治療を受けることとなり、同年六月一日まで、同病院に入院していた。

なお、甲第六号証、乙第一及び第二八号証には、頭痛、頸部痛、腰痛、嘔気、両手しびれ感、眩暈等の症状が同病院入通院期間を通じて強く認められ、同年五月三一日の段階でもジヤクソンテスト及びイートンテストで顕著な反応が認められたという趣旨の記載部分があり、神吉証人も、同年六月一日には、反訴原告にはジヤクソンテスト、イートンテスト、スパーリングテストがそれぞれ陽性で、立ちくらみがあり、頸椎の筋肉痛が著しく、腰部に放散痛があつた旨述べているが、前記の神吉医師の診断傾向を考えると、何らかの症状があつたものとしても、これらの症状がすべて右の程度にあつたものとは認められない。

(二) 名取病院での診断及び入通院

(1) 受診経過及び医師の診断

反訴原告は、保険会社の担当社員の古山裕から、神吉外科医院は診療費が高いので病院を変わつて欲しい旨告げられたため、昭和六二年六月二日、名取病院を受診し、同年四月二七日に追突事故に遇つた旨述べ、耳鳴り、頭痛、頸部痛、腰痛、手のしびれ感を訴えたところ、両下肢腱反射が亢進しており、左手握力の低下が認められる等から、外傷性頸部症候群及び腰部捻挫と診断され、リハビリテーシヨンを中心とした治療を受けるため、同日同病院に入院した。

(2) 入院経過

同病院では、同日から頸椎牽引、腰部及び頸部のボツトパツクがなされ、同月三日から右肩部のホツトパツク、同月八日から腰椎索引が続けられた。

また、同月六日の診察では、左右のアキレス腱及び膝蓋腱反射が亢進しており、右側のホフマン反射が陽性で、項部痛の訴えが認められ、頸椎脊髄神経症の症状が認められたため、さらにリハビリテーシヨンをした上で、下肢の腱反射の亢進が続くようであれば、ミエログラフイー(脊髄造影)を行うという診療方針が立てられた。腰部については、筋肉の突つ張り感があるとの訴えがあつたが、神経学的異常所見はなかつた。

同月一〇日の診察では、右側のホフマン反射は消失したが、依然として下肢の腱反射亢進が認められ、さらに二週間程度の牽引をして症状が変わらなければ、ミエログラフイーの適応があるものと考えられていた。

同月一六日診断名と高血圧症が加えられ、同月一七日の診察では、頭痛、嘔気、胸部圧迫感の訴えがあつた。また、同月二〇日には頭痛、項部痛及び耳鳴りの訴えがあつた。

同月二四日には、ミエログラフイーの適応があるものと診断され、ミエログラフイーを同年七月に施行する旨が医師から反訴原告に言い渡された。

同年七月一日には、上肢の神経学的検査上は、陽性の所見はなかつたが、頸椎の可動域制限があり、アキレス腱反射及び膝蓋腱反射の亢進は続いてあつた。

同月三日には、反訴原告は、兵庫医科大学病院で受診し、同病院で、ミエログラフイーを受けることとなり、同月二三日に同病院に入院した。

同病院では、平地においても支えが必要な歩行障害があり、階段昇降には手すりが必要な状態にあり、頭痛、眩暈、耳鳴り、残尿感、頻尿、四肢しびれ感等があるとの自覚的所見があり、また、頸椎可動域制限(特に後屈及び回旋の制限)、上肢及び下肢の腱反射亢進、前腕及び下肢の知覚鈍麻、握力低下、項筋から僧帽筋にかけての圧痛等の他覚的所見が認められ、脊髄腔造影及び頸椎CT検査を受けた結果、第四第五頸椎間及び第五第六頸椎間に変形性退行変性と考えられる骨棘形成が認められたが、症状的には保存的治療を経過観察をするのが望ましいとされ、さしあたり入院を続けて、リハビリテーシヨンが継続されることとなり、同月二五日に、反訴原告は、名取病院に再入院した。そして、同月二七日からグリソン牽引が行われた。

同年八月には、反訴原告は、頸部痛、頭痛等の症状を訴えており、同月一二日には、あいかわらず下肢の腱反射が亢進していたが、グリソン牽引の結果項部痛が軽快してきた。同月一九日には、症状はほとんど変わらないとされ、下肢の腱反射亢進の他、頸椎可動域制限(後屈制限)が認められていた。同月二九日には両肩に神経ブロツクが施行された。

なお、同月二五日には、胃十二指腸フアイバーが施行され、胃潰瘍の診断名が追加され、また、内痔核との診断名が追加された。

同年九月二日には、下肢の腱反射亢進は変わらなかつたが、針灸によつて項部の硬直が減少しており、同月五日には頭痛が減少し、同月九日には項部の硬直及び痛みが減少したと診察されており、同月一六日には、牽引と針とによつて項部の硬直及び頭重感が減少したので、同月中は入院加療を続け、同年一〇月からは通院加療に切り換えることとなつた。

(3) 通院経過

反訴原告は、同年九月三〇日に、同病院を退院し、同年一〇月一日から、同病院に通院を開始し、頸椎及び腰椎の牽引、ホツトパツク、リハビリテーシヨンが続けて行われた。

同月七日には、下肢の腱反射の亢進は変わらず、同月一四日には、下肢に加え上肢の腱反射の亢進が認められた。

同年一一月四日には、上肢の腱反射亢進は続いてあり、同月一八日にも、上下肢の腱反射亢進が続いて認められていたが、同月二五日には、同年一二月からの軽作業就労が検討され、同月中には症状固定診断をすることが検討されていた。そして、以後、ホツトパツクによる治療は中止された。

同年一二月五日には、軽作業であれば就労可能であるが、重労働は避けることが望ましい旨の診断がなされ、同月一六日に、頭重感、頭痛、耳鳴り、眩暈が時々出現し、両肩より手指にかけての鈍痛及びしびれ感、腰痛、両下肢の脱力感があり、舌がもつれるとの自覚症状、上下肢の腱反射がやや亢進し、頸部の後屈で疼痛が見られて運動制限があるとの他覚症状を残し、症状固定したものと診断された。

(4) その後の経過

その後、昭和六三年二月一〇日には、軽作業からの就労が望ましいとの診断が名取病院の医師によつてなされ、同年八月一〇日には、整備作業等の軽作業からの就労再開については治療上問題ないとの診断が、同年九月一四日には、同月二一日からの就労が可能と診断され、同日から、反訴原告は、本件事故以前からの勤め先である近畿共石油送株式会社の自動車整備補助の仕事に復帰した。

その後、平成元年三月ころに、反訴原告は、右手のしびれ、首から肩にかけての疼痛を感じて、名取病院に入通院し、同年五月二二日には、兵庫医科大学病院で頸椎症性脊髄症との診断を受け、同年八月一日に、同病院で脊髄固定術を受けた。

4  原告の受診及び入通院経過

甲第五、第八ないし第一〇及び第二一号証、乙第一六ないし第一八、第二二、第二六、第二七及び第二九号証、証人神吉英雄及び同中野利彦の各証言、反訴原告(第一回)、原告及び被告各本人尋問の結果によれば(ただし、後記の信用できない部分は除く。)、次のとおり認められる。

(一) 神吉外科病院での診断及び入通院

(1) 受診に至る経過及び神吉医師の診断

昭和六二年四月二七日の本件事故直後、原告は、首等に異常を感じて、被告の案内で、本件事故現場近くの神吉外科医院に行き、診察を受けた。

同病院で、原告は、診察した神吉英雄医師に対し、追突事故にあつた旨述べ、同医師は、診察の上、原告の傷病名を、外傷性頸部症候群、腰椎椎間板障害、頭部外傷Ⅱ型、両肩鎖関節損傷、胸腹部挫傷と診断した。そして、同医師は、同日から、温熱療法、低周波療法及び牽引療法を開始した。

なお、神吉証人は、初診時、原告は興奮状態で、頸部痛頭痛が著しく、眩暈やむかつきが強く出て、手のしびれ感、手足の放散痛が酷く、首の硬直状態が強く出ていた、レントゲン所見上、第三ないし第五頸椎間及び第五腰椎と仙骨間の狭小化が認められた旨述べ、甲第八号証、乙第一四及び第二九号証にもこれに沿うと思われる記述部分があるが、原告の初診時の訴え、後記のとおりの昭和六二年五月二九日に西大阪病院で認められた原告の症状及び同年六月一日以降に名取病院で認められた原告の症状に加え、前記の神吉医師のごく些細な症状を重大に捉える傾向を考慮すると、原告にはなんらかの症状があつたものとしても、右の神吉証人の述べる症状がすべてその程度にあつたものと認めることはできない。

(2) 入通院経過

原告は、同月二八日から同年五月六日まで神吉外科医院に通院したが、眩暈や頭痛で通院が苦痛である旨訴えたところ、神吉医師に入院を勧められたため、同月七日に同病院に入院し、同月二八日まで入院治療を受けた。

なお、乙第二九号証には、同年四月二八日には、ジヤクソンテスト及びイートンテストとも反応が顕著で、強い頸部痛が認められ、その後も著しい頭痛、頸部痛、腰痛等が続き、同年五月五日には眩暈、立ちくらみが著明であつた、同月七日には、ジヤクソソンテスト、イートンテストとも著明で、ラセーグ徴候も認められ、頭痛、嘔気、両手のしびれ感が強く認められた、その後も、頭痛、頸部痛、腰痛、嘔気、頸椎運動制限等の著明な症状が続き、同月二九日にも、ジャクソソンテスト、イートンテストとも陽性でラセーグ徴候もあり、頭痛及び頸部痛が著明であつた旨の記載部分があり、甲第八号証及び乙第一四号証にもこれに沿う記載部分があり、また、神吉証人はこれに沿うものと思われる供述をしているが、前記の神吉医師の診断傾向等を考慮すると、原告にはなんらかの症状があつたものとしても、右の症状がすべてその程度にあつたものと認めることはできない。

(二) 西大阪病院での受診

原告は、昭和六二年五月二九日、西大阪病院で受診し、同病院の医師は、原告に神経学的な異常は認めず、単に項部の疼痛を認めて、項部痛と診断した。

(三) 名取病院での受診及び通院

(1) 受診経過及び医師の診断

同年六月一日、原告は、名取病院で受診し、神吉外科病院に同年四月二七日から同年五月七日まで入院し、その後通院していたが、現在も頸部痛があるので名取病院を受診した旨申告した。そして、原告は、頸項部痛、頭痛、腰痛等の多彩な訴えをし、また、右手の軽いしびれ感を訴えたが、同病院医師による診察の結果、イートンテストが両側とも疑陽性とされ、頸部から背部にかけての筋緊張の亢進及び圧痛が認められたが、スパーリングテスト、ホフマン反射等の反射検査は陰性で、全体として神経学的な異常反射は明確に認められず、頸椎レントゲン写真上も異常はなく、原告は、頸椎捻挫及び腰部挫傷と診断された。同年六月二日の腰部レントゲン撮影でも異常は認められなかつた。

(2) 通院経過

原告は、同日以降の同月中、同病院に通院を続け、ほぼ毎日、頸椎及び腰椎の牽引並びにホットパックのリハビリテーション治療等を受けた。また、医師の診察は、八日、一五日、二二日、二九日に受けており、二二日の診察時には、イートンテスト左側が疑陽性、右側が陽性、ホフマン反射右側が疑陽性で、前腕部に放散痛があつたが、頸椎可動域制限はなく、二九日には、イートンテスト及びホフマン反射もすべて陰性となつていた。

原告は、その後も同病院に通院を続け、同年七月中は計二七日、同年八月中は計二六日、同年九月中は計二三日、同年年一〇月中は計二六日、同年一一月中は計二二日、同年一二月中は計一七日通院し、同病院では、頸椎及び腰椎の牽引並びにホットパックのリハビリテーション治療等が続けられた。

また、右の通院中、七月中には計二日、八月中には計二日、一〇月中には計三日、一一月中には計二日、一二月中には計四日、それぞれ医師の診察を受けたが、七月六日には、頭痛の訴えがあり、同月一三日にも頭痛があり、また、時々眩暈があるとの訴えがあり、医師は、高血圧(一九〇/一一〇)が原因ではないかと考えていた。このとき、イートンテストの右側で前腕部に放散痛が認められ、陽性とされた。

八月三日には、腰部に硬直が認められ、同月二六日には、頸部の硬直があり、天候が悪いと頭痛があるとの訴えがあつた。

一〇月一二日には、腰痛、頸部痛及び頭痛の訴えがあり、同月一九日にも腰痛の訴えがあつたが、諸検査は陰性であつた。同月二六日には、頭痛、腰痛、頸部痛等の多彩な痛みは高血圧(一七〇/八〇)のためと診断されていた。

一一月一六日には、転倒し尾骨等を強打したとの訴えがあり、一二月一四日には腰痛、頸部痛等の訴えがあり、さらに同月二一日には頸部痛及び腰痛のみがあり、時々頭痛があるとの訴えがあつたが、同月二八日、傷病名を頸椎捻挫及び腰部挫傷とし、頸項部痛、腰痛、頭痛、悪心及び右手指部のしびれ感の自覚症状、イートンテスト両側が疑陽性、頸項部筋及び腰部筋に軽度の筋緊張及び圧痛が認められる状態で医師に症状固定と診断された。

5  判断

以上から、反訴原告及び原告の本件事故による受傷の有無について検討する。

まず、追突の衝撃の程度については、確かに加害車及び被害車の損傷は外見上軽微ではあるが、鑑定人の意見によれば、必ずしも外見上の損傷程度のみでは衝撃の程度は推定できず、追突速度が時速二〇キロメートル程度までならば、外見上軽微な損傷のみしか残らない場合もあり得るものと考えられるところ、被告が追突直前の速度について時速一五キロメートル程度の速度であつた旨述べており(被告本人調書第四三項)、さらに同人が追突直前に一時停止をした後の発進直後であつたからせいぜい右のとおりの速度であつた旨のべているが、甲第二号証の記載に照らしても、加害車が追突地点に至る直前に一時停止したことは認められず、むしろ被害車に追走してきたものと認められることを併せ考えると、少なくとも時速一五キロメートル程度の速度で、被害車に追突したものと認められ、これによれば、停止直前の被害車に対して、後方から突如として相当の衝撃が加えられたものと推認され、本件事故は反訴原告及び原告に対して外傷を与えるに十分なものであつたものと考えられる(林洋の意見は、その結論の前提となる追突速度の点で右認定と異なり採用できない。)。

そして、原告は、本件事故直後に頸部の異常を訴えて受診しており、反訴原告においても、本件事故当日の夜には異常を感じて、本件事故の日の翌日には医師の診察を受けているところ、右の経過は殊更に不自然なものとはいえず、神吉外科医院においても全く何の症状もなかつたものとは認められず、むしろ、頸部及び腰部に何らかの症状があつたものと認められ、さらに本件事故の一か月程度後の名取病院での診察の結果によつても、反訴原告は外傷性頸部症候群及び腰部捻挫、原告は頸椎捻挫及び腰部挫傷と診断されており、他に反訴原告あるいは原告に本件事故以前から頸部あるいは腰部等の症状が存在していたという事情も認められないこと等からすると、本件事故により、反訴原告は、外傷性頸部症候群及び腰部捻挫の、原告は、頸椎捻挫及び腰部挫傷の傷害を負つたものと認めるのが相当である。

なお、被告は、神吉外科医院における診療について多くの疑問を呈し、反訴原告及び原告に本件事故による受傷がなかつたものと主張しており、確かに、神吉医師には症状を過大視する傾向が認められ、また、名取病院での診断結果等に照らして、原告には本件事故に由来する頸椎間の狭小化等はなかつたものと認められるが、通院から入院にいたる経過の点については、反訴原告らが神吉医師の勧めによつて入院するに至つたことを考えれば、必ずしも不自然なものともいえず、初診時から施された理学療法についても、その適応が全くないものか否かについてはこれを判断するに足りる証拠はなく、むしろ医師がその診断によつてこれを行つていることを考慮すると、これから直ちに本件事故による受傷がなかつたものと認めることはできないものといわざるを得ず、また、神吉外科医院からの転医の時期がほぼ一致している点についても、保険会社担当者からの働きかけが反訴原告らにあつたことが窺われる以上不自然とはいえないこと等からすると、結局、本件弁論に提出された証拠との関係においては、直ちに反訴原告及び原告に何らの症状もなかつたものということはできず、反訴原告及び原告の治療経過及び名取病院での診断結果等を考慮すると、反訴原告及び原告は、神吉外科医院初診時において、少なくとも、頸部及び腰部に何らかの症状があつたものといわざるを得ない。

三  反訴原告の相当治療期間について

以上認定の事実に加え、甲第二〇号証、乙第三一号証及び証人中野利彦の証言により認められる、反訴原告の主な症状である外傷性頸部症候群は、反訴原告の第四第五頸椎間及び第五第六頸椎間に本件事故以前からあつた、加齢的な変化あるいは反訴原告の職業由来の変化である変形性退行変性としての骨棘あるいは椎間板の膨隆が形成された脆弱な部分に本件事故による衝撃が加わつたため、脊髄を直接圧迫して発現したものと考えられること、名取病院の担当医師である中野医師は、昭和六二年九月三〇日の反訴原告退院時点で、反訴原告の症状の軽減を認めたものの、症状に増悪傾向がなくなり、安定性のあることが認められるまで、二か月半程度の通院加療を経て経過観察をした後、同年一二月一六日に症状が固定し就労可能な状態になつたものと判断したことを併せ考慮すると、本件事故による受傷の治療期間として相当因果関係が認められるのは、昭和六二年一二月一六日までであり、その後、平成元年三月ころに反訴原告の症状の悪化のため入通院し脊椎固定術を受けるまでに至つた経緯については、本件事故以前から反訴原告の頸部に存在した脆弱な部分に、就労による外力が加わつたことによるものであつて、本件事故と相当因果関係は認めることができないものといわざるを得ない。

四  反訴原告の損害

1  治療費 合計三七六万四二八〇円

乙第二、第六ないし第一〇号証によれば、前記の本件事故と相当因果関係の認められる治療期間中の前記認定の入通院のために、反訴原告は、神吉外科医院に対して九六万九八六〇円、名取病院に対して二六七万四七八〇円、兵庫医科大学病院に対して一一万九六四〇円の費用を負担したことが認められ、以上合計の三七六万四二八〇円は、前記認定事実に照らして、本件事故と相当因果関係のある治療費と認めることができる。

2  入院雑費 一七万二八〇〇円

前記のとおり、本件事故と相当因果関係の認められる治療期間中に、反訴原告は、神吉外科医院に二三日間、名取病院及び兵庫医科大学病院に通算して一二一日間の入院をしたことが認められ、これによれば、この間に一日当たり一二〇〇円の程度の雑費が必要であつたものと推認されるところ、以上認定事実に照らし、一七万二八〇〇円程度は本件事故と相当因果関係のある入院雑費と認めることができる。

3  休業損害 一五一万八三三三円

乙第三八号証によれば、反訴原告は、昭和六一年中に四一〇万五一二三円の収入を得ていたもと認められ、これによれば、本件事故当時も、右と同額程度の収入を得ることができたものと推認されるところ、さらに乙第三九号証によれば、本件事故による受傷の治療のため、本件事故当時反訴原告が勤務していた近畿共石油送株式会社において、昭和六二年五月六日より欠勤扱いとされたものと認められ、これに加え、前記認定の反訴原告の症状発現経過、本件事故態様等を勘案すると、本件事故による休業損害として相当因果関係の認められる損害は、同日から前記の本件事故と相当因果関係の認められる治療期間末日である同年一二月一六日までの二二五日間欠勤したことによる損害の六〇パーセントと考えられる。これによれば、本件事故による反訴原告の休業損害は、次のとおり一五一万八三三三円となる。

(算式) 4,105,123×225÷365×0.6=1,518,333(小数点以下切り捨て、以下同じ。)

4  逸失利益 二五〇万八〇六五円

前記認定事実によれば、反訴原告は、昭和六二年一二月一六日に、頭重感、頭痛、耳鳴り、眩暈が時々出現し、両肩より手指にかけての鈍痛及びしびれ感、腰痛、両下肢の脱力感があり、舌がもつれるとの自覚症状、上下肢の腱反射がやや亢進し、頸部の後屈で疼痛が見られて運動制限があるとの他覚症状を残し症状固定診断を受けるに至つたところ、これらのうち、少なくとも頭重感、両肩より手指にかけての鈍痛及びしびれ感並びに腰痛の自覚症状、下肢の腱反射がやや亢進し、頸部の後屈で疼痛が見られて運動制限があるとの他覚症状については、本件事故によるものと考えられることができ(証人中野利彦の証言によれば、頭痛、耳鳴り及び眩暈については、高血圧症由来のものである可能性が認められるので、本件事故によるものと断定できず、両下肢の脱力感があり、舌がもつれる自覚症状及び上肢の腱反射亢進の他覚症状についても、後者については、同年七月の兵庫医科大学病院受診時にその存在が認められるもののその前後については認められておらず、前者についても、その出現時期が不明であることから、本件事故と因果関係があるものとまではいうことができない。)、これによれば、反訴原告は、局部に頑固な神経症状を残すという後遺障害の存した状態で症状固定したものと考えることができ、これに加え、前記認定の反訴原告の症状発現経過、本件事故態様等を勘案すると、反訴原告は、本件事故と相当因果関係のある後遺障害のため、症状固定後五年間にわたり、その労働能力を平均して一四パーセント喪失したものとするのが相当であるから、これによる逸失利益を、前記認定の反訴原告の本件事故当時の年収を基礎にホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息の控除をして算出すると、次のとおり二五〇万八〇六五円となる。

(算式) 4,105,123×4.364×0.14=2,508,065

5  慰謝料 二〇〇万円

前記認定の反訴原告の受傷部位及び程度、治療経過、後遺障害の内容及び程度、年齢その他弁論に現れた諸事情を総合考慮すれば、反訴原告の本件事故による精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料としては、傷害分、後遺障害分を合わせて二〇〇万円とするのが相当である。

五  原告の損害

1  治療費 一二六万五六六〇円

乙第一五、第一九ないし第二一号証によれば、前記認定の症状固定診断を受けた昭和六二年一二月二八日までに、原告は、治療費として、神吉外科医院に対して九一万四六二〇円、名取病院に対して三五万一〇四〇円の費用を負担したことが認められ、以上合計の一二六万五六六〇円は、前記認定事実に照らして、本件事故と相当因果関係のある治療費と認めることができる。

2  入院雑費 二万八六〇〇円

前記のとおり、原告は、神吉外科医院に二二日間の入院をしたことが認められ、これによれば、この間に一日当たり一三〇〇円の程度の雑費が必要であつたものと推認されるところ、以上認定事実に照らし、二万八六〇〇円程度は本件事故と相当因果関係のある入院雑費と認めることができる。

3  休業損害 七六万〇八三三円

原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和二〇年五月七日生で、本件事故当時四一歳の主婦であつたことが認められ、これによれば、同人は、本件事故当時、一年間に昭和六二年賃金センサス第一巻・第一表・産業計・企業規模計・女子労働者四〇歳ないし四四歳の平均年収である二六九万七二〇〇円程度に相当する家事労働に従事していたものと考えられるところ、さらに、甲第二一号証によれば、治療期間中、原告の症状は増悪、軽快を繰り返したこと、昭和六二年一〇月の時点でしびれ感、根性神経炎の症状が軽快したことが認められ、これに加えて前記認定のとおり、原告の症状が自覚症状中心のもので他覚症状に乏しいこと、その他症状経過等を考慮すると、本件事故による受傷のため、それぞれ平均して、本件事故の翌日である昭和六二年四月二八日から同年七月二七日までの三か月間については全く家事労働に従事できなかつたものの、その後同年九月二七日までの二か月間は四〇パーセントの、そして、その後症状固定日とされた同年一二月二八日までの三か月間は一〇パーセントの限度で家事労働の制限を受けたものとするのが相当であるから、右金額を基礎に、これによる損害額を算出すると、次のとおり九二万一五四三円となり、これからすると、原告主張の七六万〇八三三円程度は本件事故による休業損害と認めることができる。

(算式) 2,697,200×(3÷12+2÷12×0.4+3÷12×0.1)=921,543

4  逸失利益 三六万八三〇二円

前記認定事実によれば、原告は、昭和六二年一二月二八日に、頸項部痛、腰痛、頭痛、悪心、右手指部のしびれ感の自覚症状、イートンテスト両側が疑陽性、頸項部筋及び腰部筋に軽度の筋緊張及び圧痛が認められるという他覚症状のある状態で症状固定診断を受け、これらの症状のうち、右手指部のしびれ感並びにイートンテスト両側が疑陽性、頸項部筋及び腰部筋に軽度の筋緊張及び圧痛ありとの症状は少なくとも本件事故によるものと認められるところ(頸項部痛、腰痛、頭痛及び悪心については、高血圧に由来するものとも考えられ、本件事故によるものと断定できない。)、これによれば、本件事故により局部に神経症状を残すという後遺障害を受けたものと考えられ、これに加え、前記認定の原告の症状発現経過、本件事故態様等を勘案すると、反訴原告は、本件事故による後遺障害のため、その労働能力を、症状固定後三年間にわたり、平均して五パーセント喪失したものとするのが相当であるから、これによる逸失利益を、前記認定の原告の本件事故当時の年収相当金額を基礎に、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息の控除をして算出すると、次のとおり三六万八三〇二円となる。

(算式) 2,697,200×2.731×0.05=368,302

5  慰謝料 合計九七万円

前記認定の反訴原告の受傷部位及び程度、治療経過、後遺障害の内容及び程度、年齢その他弁論に現れた諸事情を総合考慮すれば、反訴原告の本件事故による精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料としては、傷害分六五万円、後遺障害分三二万円とするのが相当である。

六  損害の填補

本件事故による損害の填補として、反訴原告は一二四万〇三八〇円の、原告は一〇万円の各支払を受けたことは当事者間に争いなく、甲第一〇及び第一一号証、乙第三九号証、反訴原告本人尋問(第一回)の結果並びに弁論の全趣旨によれば、さらに反訴原告の昭和六二年七月二三日から二日間の兵庫医科大学病院への入院治療費として、被告の契約していた保険会社から一〇万円が支払われたこと、昭和六二年五月六日から昭和六三年九月二〇日まで、反訴原告は、同人加入の健康保険組合から、一カ月当たり一九万円程度の健康保険法に基づく傷病手当金の支給を受けたこと(受給合計額三一三万五〇〇〇円)が認められるから、以上認定の、反訴原告の損害合計九九六万三四七八円から四四七万五三八〇円を、原告の損害合計三三九万三三九五円から一〇万円をそれぞれ控除すると、反訴原告が被告に対して請求できる残損害額は五四八万八〇九八円となり、原告が被告に対して請求できる残損害額は三二九万三三九五円となる。

なお、反訴原告は、同人が健康保険組合から受けた傷病手当を休業損害から控除すべきではない旨主張するが、右傷病手当支給分は、健康保険法六七条に基づいて求償され得るもので、究極的には被告の負担においてなされているものであるから、休業損害及び逸失利益からこれを控除するのが相当である。

七  弁護士費用

反訴原告及び原告が、本件訴訟の提起及び追行を反訴原告及び原告代理人に委任したことは、本件訴訟上明らかであり、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は、反訴原告について五五万円、原告について三五万円とするのが相当である。

八  結論

以上の次第で、被告に対する請求は、反訴原告が金六〇三万八〇九八円及びうち弁護士費用相当損害金分を除いた金五四八万八〇九八円に対する本件事故の日である昭和六二年四月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告が金三六四万三三九五円及びうち弁護士費用相当損害金分を除いた金三二九万三三九五円に対する右と同じ日から支払済みまで右と同じ割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度で理由があるから、これらをいずれも認容し、その余は理由がないからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 林泰民 松井英隆 小海隆則)

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